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2024.05.10

【あさくら地名ものがたり】最澄が讃えた銘水「甘水」

地名が語る伝説・いにしえの物語

日本各地の地名には、さまざまな由来がある。なぜその地域がそう呼ばれるようになったのか探ると、そのコミュニティの中心となっていた神社の由緒にたどり着いたり、歴史や産業、文化にルーツが垣間見えることも。そんな地名にまつわる伝説・伝承や民話を取り上げるのが【あさくら地名ものがたり】。今回は、美しい豊かな水のまち朝倉らしい、水にまつわる地名「甘水」の由来を探る。

遣唐使の時代にさかのぼる地名の由来

延暦寺最澄

比叡山延暦寺の伝教大師尊像(最澄)

時は延暦23年(804年)桓武天皇の時代。最澄と空海を乗せた遣唐使の船が出発したが、唐に入れないほどの暴風雨に。そこで最澄は「無事に入唐できたら、帰国してから必ず薬師如来七佛を刻み一生供養します」と誓ったところ、風も雨も静まったという。

入唐して仏教の研究に勤しんだ最澄は翌年に帰国。誓願を果たすため筑紫の地に向かい材料を探していたところ、最澄はこの地でひと筋の清らかな水の流れを見つけた。手ですくって飲んでみるとその水がまるで甘露のようにやわらかく甘い水であったことから、この地を「甘水」と名付けたと伝わる。

その後、夜須郡白山(現在の朝倉市古処山)で金色の水が流れ出る木を発見した最澄は、その木を刻んで七佛を作った。七つのうちひとつは、今も朝倉市の南淋寺に安置されている。

甘水にまつわるもうひとつの伝説

最澄が讃えた名水・甘水には、もうひとつの物語も伝わる。昔、貧しい母子が暮らしていた。母は病気のため飲むことも食べることもできないほど弱っていた。親思いの深い子どもが「筑紫国甘水山金水寺」の甘露水を汲んで母親に飲ませたところ、たちまち病気が良くなった、という伝説もある。

「九州の名水100泉」に選ばれた甘露の水

最澄をして「甘露のような美味なる水」と言わしめた甘水。200リットル100円で汲むことができるのをご存知だろうか。やわらかくふくよかな味わいの天然水は、飲食店関係者にも人気。遠方からも汲みにくるという方も多いという。

古処山は特別天然記念物に指定されるツゲの原始林や、秋月氏の居城として知られる古処山城跡がある場所。最澄の生きた時代は今から1200年以上も前のこと。そんないにしえからの物語が彩る水を口にすれば、味覚とはまた別の味わいが体いっぱいに広がるだろう。

【甘水の銘水】福岡県朝倉市甘水1233

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