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2024.05.17

【奈良時代から続く伝統的川漁】水鳥と人でつなぐ原鶴の鵜飼

筑後川の初夏の風物詩・鵜飼

みなさんは鵜飼をご存知ですか。鵜飼とは、飼い慣らした鵜という水鳥を鵜匠が手縄で操り、鮎などの魚を獲る伝統的な川漁の方法です。筑後川でも5月の漁の解禁と同時に川開きが行われ、原鶴温泉近くの初夏の風物詩として古くから親しまれています。

奈良時代から始まった筑後川の鵜飼

平城宮2288号木簡

出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム「平城京2288号木簡

わが国最古の歴史書である「古事記」や同じく8世紀につくられたとされる「日本書紀」にも登場する鵜飼ですが、筑後川で鵜飼が始まったと考えられているのも同じく奈良時代のこと。筑後(ちくご)国生葉(いくは)郡 ※1」からの「煮塩年魚(にしおのあゆ)※2」という木簡が平城京跡から出土しており、その頃には筑後川で鵜飼が始まっていたという可能性があるとされています。

※1…現・福岡県うきは市付近
※2…塩で煮て加工したアユ

出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム「平城京2288号木簡

江戸時代の俳人・篠崎兎城の句に登場する鵜

海鵜0517

朝倉の鵜飼は、江戸時代中頃に活躍した蕉門の俳人・篠崎兎城(※3)の句にも登場。

・鵜の声に 内庭せまし 初時雨
・漁火や すかせばさらに 秋の雲

季節の空気を繊細に表現する俳句にも詠まれるということは、当時から「鵜の声」や「漁火」など、鵜飼に関連するものが、いかに朝倉の夏を象徴していたかがうかがえます。

※3…篠崎兎城(しのざき とじょう)本名は篠崎新助。博多の練酒屋に生まれたが杷木に移り住み、18歳にして中村西国(当時談林派の中心だった井原西鶴に指導を受けた人物)の門に入り、「岩国」と称しました。西国が亡くなった後は博多の「風呂屋素閑」の弟子に。当時100名以上の門人がいたと伝えられています。

鵜匠の技を屋形船で体感

今から1300年以上前から続くとされる筑後川の鵜飼。この伝統の川漁を目の前で体感できるのが原鶴温泉の屋形船です。毎年5月下旬の鮎漁解禁から観光客にも人気を集めていましたが、近年の大雨・水害の影響で開催できなかったことも。規模は縮小されましたが、2024年は5月24日から開催。屋形船と鵜飼の舟が一緒に川を下るという筑後川の鵜飼の魅力を間近で観覧できます。お申し込みお問い合わせは、【原鶴温泉旅館協同組合】原鶴温泉 対象旅館限定 鵜飼観覧キャンペーンのページからご覧ください。

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