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2024.06.14

【無形文化遺産・日本食を支える発酵文化】食べられるカビを探究した先人たち

幕末から大正、激動の時代に生きた科学者・高峰譲吉

7月3日から発行される新紙幣のデザインが発表されました。一万円札に「日本資本主義の父」渋沢栄一、五千円札に「女子教育の先駆者」津田梅子、1000円札には「近代日本医学の父」北里柴三郎の肖像画が選ばれました。それでは、渋沢栄一と北里柴三郎と関わりの大きな科学者、高峰譲吉をご存知ですか。今年5月9日にワシントンD.Cで開催された全米発明家殿堂セレモニーにより殿堂入りを果たした、偉大な科学者であり発明家、実業家です。今回は世界に誇る無形文化遺産・和食を支える発酵食文化の番外編、人生をかけて「食べられるカビ」を探究した高峰譲吉博士についてご紹介しましょう。

学びを深めた幼少期・青年期

高峰譲吉は1854年11月3日、加賀藩の御典医である高峰精一の長男として現在の富山県高岡市で生まれました。7歳で加賀藩藩校の明倫堂で学び、11歳で長崎の致遠館へ留学。1868年には京都の兵学塾、翌年に大阪医学校、大阪舎密学校、七尾語学所で学びを深めました。その後、工部省工部大学校(現在の東京大学工学部)で応用化学を学んだ後、首席で卒業し、翌年にイギリスへ留学します。譲吉の幼少期・青年期は、その後の偉業を達成するための学びの期間だったのでしょう。

運命を変えた初の渡米とリン鉱石

畑イメージ

人造肥料は日本の農業の生産性をアップさせました

工部省工部大学校を卒業した譲吉は、政府の派遣留学生としてスコットランドの大学に留学。帰国後は現在の農林水産省や経済産業省に当たる農商務省の工務局に入省します。その後、事務官としてニューオリンズで開催された万国産業博覧会に参加。この会場で目にしたリン鉱石が譲吉の運命を大きく動かすこととなります。

当時の日本で使われていた肥料は糞尿などが中心。人造肥料を作ることができれば生産性が上がるのではないかと考えた譲吉は自費でリン鉱石を購入して帰国しました。こうして1887年、国立銀行を創設した渋沢栄一と三井財閥の益田孝に出資してもらい、日本初の人造肥料会社である東京人造肥料会社(現在の日産化学株式会社)を創設したのです。

米麹方式によるウイスキー醸造に挑戦

小麦ふすま

譲吉が着目した小麦のふすま

人造肥料に専念する中でも譲吉が探求し続けていたのが、日本の伝統的発酵技術でした。そして、これまでのモルトではなく、日本酒をつくる時に使用する麹を活用し、麹菌の持つ強い酵素であるジアスターゼを利用して醸造する「(麹による酒精製造法特許)」をイギリスで出願。1887年の成立を皮切りに、フランス、ベルギー、そしてアメリカでもこの特許が成立します。

高峰譲吉のウイスキー造り

高峰譲吉が探究していた日本の伝統的な発酵技術。博士が海外で酒精製造法特許を成立させたのは、今や我が国の国菌となった“食べられるカビ”麹を使ったものでした。この麹の中でも米麹は日本酒を造る時に利用されますが、譲吉がウイスキー造りに目を付けたのは、当時廃棄物だった小麦のふすま(小麦粉を作った後に出る外側の部分・小麦の皮)。

今でこそ健康志向の高まりで注目されていますが、当時小麦ふすまは「捨てられるもの」。それまでの大麦麦芽のモルトに含まれる酵素による発酵に比べ、小麦ふすまを使用した醸造方法なら、より短期間・低コストでウイスキーを造ることができるという画期的なものでした。

近代バイオテクノロジーの父

タカヂアスターゼの商標

ところが、自分たちの職がなくなる危機感からウイスキー用モルト生産者が猛反発。さまざまな妨害に遭い実用化を目前にしてウイスキー製造は頓挫。

それでも決して倒れないのが譲吉のすごいところ。どんな困難があろうとも、麹が持つ強い酵素の分解作用やジアスターゼの活用法を研究し続けていました。その結果、現在でも消化薬として使われるタカジアスターゼを発見したのです。

それだけではありません。これなくして手術なしと言われるほどの世紀の大発明である、アドレナリンの抽出・結晶化に成功。純粋な結晶の抽出は世界で初めてのことでした。止血作用のあるアドレナリンはホルモンの一種。現在でも外科手術の際に欠かせない医薬品として使われています。

日米のかけ橋として

ポトマックの桜

ワシントンDCにあるポトマック公園の桜

譲吉は1899年に東京帝国大学で工学博士、1906年に薬学博士に。晩年は妻キャロラインとともに日米のかけ橋として「無冠の大使」と呼ばれるほど国際交流・国際親善に尽力した博士。当時のタフト大統領夫人とともに企画して、ワシントンD.C.のポトマック河畔とニューヨークのハドソン河畔に桜の木を寄贈、資金援助したのも博士でした。

発酵食文化が支える「和食」が世界無形文化遺産に登録されたのは、高峰博士が亡くなった約90年後のこと。日本の伝統的な発酵技術に世界的な視線が集まることを、博士は予見していたのでしょうか。麹が持つ可能性を探究し続けた高峰博士のスピリッツに敬意を表したいものです。

参考サイト
【特定非営利活動法人 高峰譲吉博士研究会】ホームページ
【金沢ふるさと偉人館】近代日本を支えた偉人たち 高峰譲吉

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