2024.06.07
日本初の時計は漏刻(ろうこく)という水時計だ。「日本書紀」によると、遣唐使によって中国から伝えられた漏刻を中大兄皇子が初めてつくったのは660年5月のこと。その後11年という年月を経て、天智天皇として即位した後に近江宮で実用化。671年の6月10日に運用が開始されたという。
奈良県明日香村にある水落遺跡には、中大兄皇子が漏刻をつくった時に使われた施設の跡と考えられている。
漏刻のレプリカがある恵蘇八幡宮の解説によると、漏刻は4つの壺を段違いに並べたもので、1つめを夜天地、2つめを日天地、3つめを平壺、4つめを万水壺と言い、万水壺の中には矢が立てられている。1つめの夜天地の壺に水を注ぐと、水は管を通って日天地、平壺、万水壺へと流れ込む。万水壺の水かさが増えることで浮き上がった矢の目盛りを読み取り、時刻を知る仕組みである。
エジプトでは紀元前1400年ごろに作られていたとも言われているから驚きだ。
漏刻のレプリカがある恵蘇八幡宮は、日本で初めて時を知らせた天智天皇をご祭神としてお祀りする、朝倉地域の総社。毎年6月10日の「時の記念日」には、時の記念祭と時計供養祭を開催している。
天智天皇が中大兄皇子として朝倉に滞在していたのは660年前後ごろだそうだ。朝倉の地で目にしたであろう豊かな水と、水を使った我が国初の時計・漏刻。時を司り国を治めた天智天皇の物語は、水がつないでいるように見えてならない。
恵蘇八幡宮
【住所】福岡県朝倉市山田166
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