2024.07.19
六月、伊勢王薨。秋七月甲午朔丁巳、天皇崩于朝倉宮。八月甲子朔、皇太子奉徙天皇喪、還至磐瀨宮。
是夕於朝倉山上、有鬼、着大笠、臨視喪儀。衆皆嗟恠。
これは720年に成立した「日本書紀」に記されていた鬼の記述である。661年、百済救済のために朝倉橘広庭宮に遷幸した斉明天皇だが、わずか75日後の旧暦7月24日に御年68歳で崩御された。上の記述では、「皇太子である中大兄皇子が喪に服し磐瀬宮に向かった日の夕刻、朝倉山に鬼が現れ、大笠をかぶって斉明天皇の葬儀を見ており、人々は怪しんだ」と伝えている。
この朝倉山とは恵蘇八幡宮の奥にある斉明天皇藁葬地の御陵山とも言われており、その拝殿にはただ静かに葬儀を見つめていた鬼のエピソードを示すように、小さな鬼の顔がひっそりと刻まれている。
この「朝倉山に鬼が現れた」という記述は何を示すのだろう。例えば日本書紀と同じころに編纂された「出雲国風土記」に登場する鬼は「ひとつ目の鬼が田を耕す人を食べた」とあり、この鬼が何を表すのかさまざまな説がある。
朝倉山の鬼の場合、大笠をかぶっているという表現から、とても巨大な様子がわかる。そうなると、朝倉山に覆い被さる大きくて怪しい雲が人々に恐怖と不安をもたらしたのではないだろうか。
「日本書紀」などの古い書物には当時のできごとが記されているが、その時代を生きた人々の恐怖や不安な感情を、大きな雲や自然現象として怪しい「鬼」と表現したのかもしれない。
鬼の語源は「隠(オン・オヌ)」という説がある。平安時代に成立した「倭名類聚抄」によると「於邇(オニ)とは目には見えず隠れ住んでおり、形を顕すことを嫌うので「隠」と言い、それが鬼の語源となった」とある。
つまり、人の力の及ばない、目に見えない“何か”を「鬼」と呼んだのではないかと推察できる。目には見えないが人の心や日々の暮らしに言い知れぬ不安や恐れを抱かせるものであったと。節分の豆まきや各地に残る伝説・昔話に登場する「姿のある鬼」とは非常に異なるように見えてこないだろうか。
仏教の普及とともに「姿のある鬼」は全国に広まったと言われているが、この朝倉山に現れた、まるで何かの気配のような鬼、斉明天皇の葬儀に際し当時の人々にどのようなメッセージを伝えたのだろう。恵蘇八幡宮の拝殿の小さな鬼を見ていると、この伝説が単なる伝説ではないような気がしてならない。
恵蘇八幡宮
【住所】福岡県朝倉市山田166
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