2024.09.27
今年も林田の美奈宜神社で蜷城おくんちが開催される。そもそも「くんち」とは九州地方で旧暦の9月9日の重陽の日、つまり九日を「くんち」と読むことから祭礼の日とされたと言われる。芸能的な要素が少なく祭礼としての意味合いの強い蜷城おくんちの獅子舞は、福岡県の無形文化財にも登録されているあまりにも有名な朝倉の季節行事。今回は本格的な形式で受け継がれてきた蜷城おくんちの獅子舞とともに、日本の獅子舞の歴史について探ってみよう。
蜷城おくんちとは、毎年10月21日に行われる美奈宜神社の秋季大祭のことを言う。長田・鵜木の獅子舞を一括して保存し、両者を合わせて福岡県の無形文化財に登録された獅子舞が祭りのハイライト。他にも神楽舞や四郎丸太鼓、子ども毛槍もお神輿に追従。地元の子どもたちも多数参加する、朝倉を代表する秋祭りのひとつである。
蜷城おくんち
【日時】2024年10月21日(月)・神事は10:30〜、おくだりは13:30〜
【場所】美奈宜神社(朝倉市林田210)
それでは、周辺地域を見ても珍しい蜷城おくんちの特徴を見てみよう。第一に筑前地方に多く見られる伎楽スタイルの獅子舞とは異なり、芸能の要素が非常に低いことが挙げられる。舞楽がないということはつまり、お客さんに見せるためのものではなく、地域の守り神への信仰のために奉納する獅子舞であるということ。子どもの頭を噛むことで疫病を防ぎ、獅子が荒々しく暴れれば豊作になるという信仰である。かつて筑後川中流域の各地では、このような信仰のために奉納する獅子舞が多く見られたが、現在でも本格的な形で残っているのはこの蜷城一つだけである。
奉納のスタイルが珍しければ、その素材も珍しい。古くから筑後川流域に多く茂っていたと言われるシュロである。獅子の胴体はシュロを編んだもので、獅子役の足絆にもシュロが使われている。シュロの木皮で蓑を作る技術は、美奈宜神社のおくんち保存会だけが有するもの。地のものを神饌にするように、信仰のための獅子にも地のものを使うところに、蜷城おくんちが地元の暮らしや産業に切っても切り離せない「御神幸」であることがうかがえる。
蜷城おくんちの神幸祭が始まったのは、今から500年以上前。秋月氏14代の秋月種時が社殿の再興時に神輿や旗を奉納したのが起こりと言われている。
我が国で最初の獅子舞は、一説には三重県鈴鹿市にある椿大神社の獅子舞神事で、始まったのは聖武天皇の御代の約1300年前。干支が丑・辰・未・戌の年を舞年とし、3年周期の作法で現在まで受け継がれてきたそうだ。
それでは、獅子舞はどのようにして日本全国に広がったのだろうか。きっかけのひとつに伊勢太神楽がある。
伊勢太神楽とは獅子舞の原型とも言われるもので、室町時代にお伊勢参りを広める際の厄落としとして演じられた。伊勢太神楽でお伊勢参りが全国的に広がるとともに、獅子舞も知れ渡るようになったというわけだ。
仏教とともに中国から日本に伝来した獅子舞。その後、仏教や伊勢太神楽との関わりを経て全国に広がり、今や日本で一番数の多い伝統芸能と言われるまでになった。奈良時代から現在まで獅子舞を受け継いできた地域の人々に思いを馳せると、伝統芸能や地域の秋祭りにもひと味違う感動が生まれるはずだ。
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【参考サイト】
・椿大神社「獅子舞神事について」
・朝倉市ホームページ「蜷城おくんち」
・国立文化財機構所蔵品統合検索システム 礒田湖龍斎筆「青樓俄狂言盡・獅子舞」